カメラマンではなく『フォトグラファー』であることに価値がある

【VeryVeryにカメラマンはいない】

カメラマンとフォトグラファー
この2つの存在の違いを認識している人は少ないのではないかと思う。
大枠で捉えればカメラを持ち写真を撮る人。
表面をなぞるだけであればそう違いがないように感じるが両者は核心的な部分がまるで違う。
そして、VeryVeryにカメラマンはただの一人も存在しない。
そもそもカメラマンというのはただのシャッターマンだ。
被写体が目の前にいてできればニッコリ笑ってくれればおおよそ100%完成する一定で不変的な世界を見ている。
マニュアルですでに設定されている通りの場所とカメラの設定で撮影をする人のことだ。

一方フォトグラファーというのはファインダーを覗き見える世界の情報を全て操作するための独自の想像と創造を繰り返し写真をコーディネートする人を言う。

よくお客様から他店と比較した際に聞くVeryVeryの特徴というものは
『かしこまった写真ではなくまるで遊んでいるかのような自然な笑顔を残せる』
というものである。
ここに一つ、カメラマンでは対応ができずフォトグラファーだからこそできる撮影の秘密がある。

【その子ども、その家族を見つめる】

カメラマンが撮影するのであれば、その子やその家族がどんな雰囲気であろうと極端な言い方をすればあまり関係のないことだろう。
「1才のお誕生日写真」
と捉えればいくらでも同じ写真を量産できる
「3才七五三写真」
という枠で見れば、いくらでもシステマチックにその子の個性や、家族の個性を打ち消して撮影をこなしていくことはとても容易なことだ。
写真は撮影者が見ている世界そのものと言っても良い。
被写体から感じる要素、魅力、美しさ、特徴これらを写真に写し出せなければ『その子』を撮っているとは言えない。
彼、彼女らまたはその家族を作り上げる構成要素はいくつもある中でフォトグラファーが見つけるもの、また引き出すもの。
それが写真となって具現化される要素に含まれいる。
同じ家族がこの世に存在しないのだからその家族を写す写真もそうでありたい。
だからこそ私たちはカメラマンではなくフォトグラファーである道を何の迷いもなく選択している。

【VeryVeryに同じ写真を撮るフォトグラファーは存在しない】

同じスタジオで撮影をしていても
撮り手が違えば、被写体に対して惹かれるポイントも違う。
感じる魅力が違えば、それを引き立たせる光の選択や創造、
レンズの選択、導く言葉も変わっていく。

つまり、フォトグラファーそれぞれに見えている異なった世界がある。
自然と表現も変わり、同じ場所、同じ被写体であっても
撮る人によって全く違う写真となっていく。
だからこそ、お客様の個性だけではなく
フォトグラファーの個性もまたとても大切にされている。

【カメラマンではなく『フォトグラファー』であることに価値がある】

必要な光を足し算、引き算をしたり
背景の処理をしたり
レンズの選択をしたり
必要な心理学を理解し選択をして
様々な視点で写真をコーディネートしていくが
写真館のフォトグラファーだからこそ
必要になる絶対不可欠なものがある。

その家族、その子どもたちの個性を引き出す人間力こそが
何よりも大切だと考える。

それをおざなりにしていたら、
撮影者が自分である必要はないだろう。

写真が上手いだけでもダメ
お客様と上手に仲良くなれるだけでもだめ。
どちらも必要なのです。
写真もうまく
お客様との関係を自然と作っていく力も。

写真の中に
『わたし』と『あなた』を写し出すこと。
撮影者の主観を混ぜた
家族や子どもたちへの理解と解釈が入って創造していく
自由で伸びやかに被写体を生かせるような写真を撮ることは
シャッターマンにできる仕事ではない。

だからVeryVeryにはカメラマンがいない。
お客様の色を写し出せるフォトグラファーであろうとしなければ
VeryVeryで写真を撮ることはできない。

お店とお客様という関係を越え
一人の人と人とのつながりこそが何よりも重要で
その絆が最終的に写真を構成する要素、その先の未来をも統括し
完成へと導いてくれるものだろうと考えている。
それこそが
我々がフォトグラファーである価値のひとつだと言えるだろう。